瀬古利彦の今現在や家族は?経歴やマラソン成績と年収が気になる!

しくじり先生 俺みたいになるな!! 3時間スペシャルに瀬古利彦さんが出演します。

「実力は世界一なのにオリンピックだけ勝てない先生」として話します。

瀬古利彦の今現在や家族(妻や息子)は?経歴やマラソン成績と年収が気になる!で記事を書いています。

早速ですが、それでは行ってみましょう!

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瀬古利彦さんの経歴は?

瀬古利彦

名前:瀬古 利彦(せこ としひこ)

生年月日:1956年7月15日

出身地: 三重県桑名市

身長:170センチ

体重:62キロ

血液型:O型

年齢は2017年3月13日現在、60歳です。

中学時代は野球部で投手をしていて、

強豪校からの誘いがあったレベルで、

将来的には甲子園を目指すつもりでいました。

中学校の校内5キロ走大会で優勝してから陸上部に頼まれて陸上の大会に出るようになりました。

市の陸上大会や県大会でも優勝し、、陸上競技に魅力を感じるようになったそうです。

本格的にやっていなくっても優勝できる素質があったんですね。

野球でも才能があったようですので、野球に進んでたらどうなってたんでしょうね。

高校は陸上の強豪校・四日市工業高校へ進学しました。

高校時代は、1年生で山形インターハイ800mに出場し、3位でした。

2年生は、三重インターハイ800m、1500mで優勝、千葉国体1500m、5000mで優勝。

3年生は、福岡インターハイ800m、1500mで優勝、5000mで2位、

茨城国体で1500m、5000mで優勝。

全国高校駅伝では3年連続花の1区をに出場し2年の時に区間賞でした。

高校生でもほぼ敵なし状態だったんですね。

大学は中央大学に入学が決まりかけたが、早稲田大学OBからの勧誘で、

早稲田大学の一般入試を受けて不合格なりました。

南カリフォルニア大学へ在籍しながらの「浪人生活」を送り、

翌年早稲田大学教育学部に入学しました。

早稲田大学競走部への入部し、中村清監督から「君、マラソンをやりなさい」と勧められ、

中距離からマラソンへ転向しました。

箱根駅伝では1年から4年連続で「花の2区」を走り、3、4年の時に区間新を記録しました。

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瀬古利彦さんの今現在は?

引退後はヱスビー食品陸上部監督に就任していました。

1990年~1994年は母校早稲田大学競走部のコーチも兼任していました。

2012年8月31日にヱスビー食品陸上部の廃部となりました。

2013年4月よりDeNAランニングクラブ総監督や

駅伝やマラソン中継の解説者としても活動しています。

瀬古利彦さんの家族は?

家族

瀬古利彦さんの家族は、妻、子供4人の6人家族です。

子供は4人とも男の子です。

4人とも男とは凄いですね。

妻:瀬古 美恵さん

長男:瀬古 昴さん、

次男:瀬古 亜士武さん、

三男:瀬古 天哩さん、

四男:瀬古 聖醐さんです。

三男の瀬古天哩さんは、以前マラソンランナーとして活躍していましたが、

現在は、みなさん会社員として働いているそうです。

なかなか二世は活躍するのも難しいですね。

父親が凄すぎて抜けないってこともあるんですかね。

瀬古利彦さんのマラソン・トラック成績は?

本

瀬古利彦さんの自己最高記録は、1986年10月26日に記録した2時間08分27秒です。

マラソンでは凄い記録ですね。

優勝してさらに記録まで更新しているんですから毎年、成長していったのが

わかりますね。

しかし、オリンピックでは、結果が出ていませんね。

惨敗の理由は、しくじり先生で話すそうです。

調べてみたら以下の理由が原因だそうです。

・ハードな練習をしすぎた。

・夏マラソンが始めてだった。

本当のことは今日の放送でわかりますね。

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【マラソンの成績】

1977年2月  京都マラソン 2時間26分 10位 新人賞獲得

1977年12月 福岡国際マラソン 2時間15分1秒 5位 日本人最上位

1978年12月 福岡国際マラソン 2時間10分21秒 優勝 当時世界歴代10位、当時日本学生最高記録

1979年04月 ボストンマラソン 2時間10分12秒 2位  当時世界歴代9位、当時日本学生最高記録

1979年12月 福岡国際マラソン 2時間10分35秒 優勝 モスクワ五輪代表権獲得、福岡日本人初の2連覇

1980年12月 福岡国際マラソン 2時間9分45秒 優勝 当時世界歴代8位、福岡日本人初の3連覇

1981年04月 ボストンマラソン 2時間9分26秒 優勝 当時世界歴代5位、当時大会記録

1983年02月 東京国際マラソン 2時間8分38秒 優勝 当時日本最高記録、当時世界歴代3位、当時大会記録

1983年12月 福岡国際マラソン 2時間8分52秒 優勝 ロサンゼルス五輪代表権獲得、当時世界歴代6位相当、福岡日本人初の4回制覇

1984年08月 ロサンゼルスオリンピック 2時間14分13秒 14位

1986年04月 ロンドンマラソン 2時間10分02秒 優勝 ロンドン日本人初の優勝

1986年10月 シカゴマラソン 2時間8分27秒 優勝 自己最高記録、当時世界歴代10位、シカゴ日本人初の優勝

1987年04月 ボストンマラソン 2時間11分50秒 優勝 ボストン日本人初の複数回制覇

1988年03月 びわ湖毎日マラソン 2時間12分41秒 優勝 ソウル五輪代表権獲得、日本3大マラソン制覇

1988年10月 ソウルオリンピック 2時間13分41秒 9位

【トラック競技】

1986年7月11日 5000m:13分24分29秒 プジョータルボットゲームズ 当時日本記録

1985年7月2日  10,000m:27分42秒17 DNガラン 当時日本記録

1983年9月24日 15,000m:43分38秒2 日本記録

1985年5月11日 20,000m:57分48秒7 東日本実業団陸上競技選手権大会 日本記録

1981年3月22日 25,000m:1時間13分55秒8 クライストチャーチ記録会 日本記録

1981年3月22日 30,000m:1時間29分18秒8 クライストチャーチ記録会 日本記録

瀬古利彦の年収は?

年収

2013年4月よりDeNAランニングクラブ総監督として活動されていますが、

監督しての年収は、770万円ぐらいといわれています。

監督以外の収入、本の印税、解説者、テレビ出演等があるので、

瀬古利彦さんの年収としてはとしてのギャラなどもあるので、

770万円以上のことは、確かですが、推測としては900万円~1,000万円ぐらいではないでしょうか?

今回、ゴールデンの番組のしくじり先生に出演する事で、

テレビで見ることが増えるかもしれませんね。

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